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なぜ今、大学に「リベラルアーツ」が必要なのか? ~ある移民家族の物語に学ぶ「学びの真価」~

私たち株式会社学校コミュニケーションネットワークスは、大学のステークホルダー、特に卒業生ネットワークの活性化を通じて、大学・在校生・卒業生と社会の発展に貢献することを使命としています。日々、多くの大学関係者の皆様と意見交換をする中で、常に議題の中心となるのは「大学は社会に、そして人に、何を提供すべきか」という根源的な問いです。

実学的な専門教育、最先端の研究、グローバル人材の育成。どれも欠かせない重要な機能です。しかし、変化の激しい現代において、それら専門知識の「使い方」を支える土台、すなわち「自らの軸」を確立する教育の重要性が、今改めて見直されています。

奇しくも先日、私の知人が一冊の本を自費出版されました。『父はアメリカで生まれた 海を越えて引き継がれたある父子の物語』。この本に描かれたある家族の軌跡が、まさに現代の大学が向き合うべき「リベラルアーツ」や「社会人教育」の重要性を、痛切に示唆してくれているように感じました。

遺された資料から「ルーツ」を再発見する旅

本書は、著者が父の死後、実家に残された膨大な書類の山を整理するところから始まります。そこには、アメリカに移民として渡った祖父の時代の写真や、父子で交わした書簡など、著者がこれまでほとんど知ることのなかった家族の歴史が眠っていました。

1906年(明治39年)、祖父は創設期の早稲田大学を卒業するとすぐに、労働移民として単身アメリカへ渡ります。カリフォルニアで大手果樹生産会社の現場支配人となり、43歳で同郷の祖母を「写真花嫁」として迎えます。そして、父がアメリカで生まれるのです。

一見、順風満帆な「アメリカン・ドリーム」です。しかし、時代は第二次世界大戦へと突き進み、日系移民への排斥運動が激化します。安定した生活基盤を築いた家族に、暗い影が落とされます。

著者は、これらの資料を解読し、祖父母が生まれ育った長野県伊那市高遠町にも足を運びます。それは、単なる過去の記録の確認ではありません。父が何を思い、祖父がどう戦ったのか。歴史の荒波の中で下した「決断」の背景を探る、まさに「ルーツの探求」そのものです。

なぜ今、リベラルアーツ(教養)が重要なのか

この物語は、二つの重要な問いを私たちに投げかけます。

一つは、「自身のルーツを探求し、新たな発見をすることの重要性」です。著者は、父の遺品という「過去の記録」に向き合い、コロナ禍のアメリカ駐在という時間を使ってそれらを深く読み解くことで、祖父や父の人生を「自分事」として再構築していきます。

これは、大学教育におけるリベラルアーツの核心と重なります。リベラルアーツとは、単なる「幅広い知識」ではありません。歴史、哲学、文学、芸術といった一見「すぐに役立たない」学問を通じて、先人たちが何を考え、社会がどう動き、人間とは何かを深く洞察するプロセスです。それは、時間と空間を超えて他者の経験を追体験し、「自分はどこから来て、どこへ行くのか」という座標軸を自らの中に打ち立てる作業にほかなりません。

祖父が直面した「排日移民規制」という理不尽。父が迫られた「大きな決断」。これらは、現代を生きる私たちにとっても無縁ではありません。グローバル化が進むほど、文化や価値観の衝突は増え、自らのアイデンティティが問われる場面は多くなります。

そんな時、自分自身のルーツ(歴史)を知り、社会の構造(教養)を理解していることは、他者に流されず、自ら判断し、行動するための確かな「錨(いかり)」となるはずです。

「学び」が「挑戦する勇気」の源泉となる

本書が示すもう一つの重要な示唆。それは、「社会人教育の重要性」、もっと言えば「学び続けることの真価」です。著者は、祖父の足跡をたどる中で、非常に印象的な考察を記しています。

「祖父は明治時代の長野の寒村の農家の次男に生まれ、峠を超えた町の学校で学ぶことを選び、東京に出て早稲田の前身である東京専門学校に入ります。労働移民として自分を試そうとした勇気は、学びに裏付けられていたと思うのです。」「学びが、勇気の裏付けとなった」。これは、大学教育、特に社会人教育やリカレント教育が目指すべき、一つの理想形ではないでしょうか。

祖父が生きた明治時代、高等教育を受けることは特権でした。彼が「東京専門学校」で何を学んだかは具体的に書かれていませんが、そこで得た知識や、学んだという「自信」が、見知らぬアメリカという新天地へ単身で飛び込み、困難な時代を生き抜く「勇気」の源泉となった。著者はそう洞察しています。現代の大学に求められる社会人教育も、単なるスキルのアップデート(学び直し)に留まるものではないはずです。

VUCA(変動・不確実・複雑・曖昧)の時代、多くの社会人がキャリアや人生の岐路で迷い、新たな一歩を踏み出す勇気を求めています。大学が提供すべき「学び」とは、専門知識以上に、彼らが自らの可能性を再発見し、「自分ならできる」という勇気(自己効力感)を育む場ではないでしょうか。

大学(母校)こそが、最大の「ルーツ」である

『父はアメリカで生まれた』は、著者という一人の「孫」が、父や祖父という「ルーツ」を再発見することで、自らのアイデンティティを確立し、未来へ進む勇気を得た物語です。

翻って、大学にとって卒業生とは何でしょうか。 卒業生にとって大学(母校)とは何でしょうか。私たちは、「大学こそが、そこに集った全ての人々にとっての知的・人的なルーツである」と考えています。

しかし、多くの大学において、卒業生という膨大な「ルーツ」や「ネットワーク」は、著者の父が残した資料のように、整理されないまま眠ってしまっているのではないでしょうか。もし、著者が父の資料を開かなかったら、祖父の「学び」が「勇気」になったという貴重な洞察も生まれませんでした。

大学が持つ卒業生ネットワークという「知の鉱脈」。 これを丁寧に掘り起こし、活性化させ、再び繋ぎ直すこと。 それこそが、卒業生にとっては自らの「ルーツ」を再確認し、新たな挑戦への勇気を得る「社会人教育」の場となります。 そして在校生にとっては、多様な未来を示す「羅針盤」となり、大学自身にとっては、その存在意義を社会に示す確かな「資産」となります。

当社は、大学とそのステークホルダー(卒業生)との絆を再構築し、そのネットワークを未来の力に変えるお手伝いをしています。皆様の大学に眠る「ルーツ」を、在校生、卒業生、そして大学自身の「生き抜く勇気」に変えるために。 私たちに、そのお手伝いをさせていただけないでしょうか。

是非、この本をご一読ください。また、著者と話してみたい方も遠慮なくご相談ください。

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