コミュニケーション
「共感」は身近にあるものですね

思わず見入ってしまった姿
先日、大学キャンパスを歩いていると、卒業式が中止になったにも関わらず、袴姿でバスケットボールと戯れる学生の姿に妙に心を打たれました。きっと貸衣装をキャンセルもせず、卒業式こそ行われないものの、その晴れ姿で大学キャンパスに別れを告げているようにも見えました。本当なら保護者の方も来られて、「いよいよ卒業ね、よく頑張ったわね」とお母様に労われたり、同級生同士で「卒業しても仲間だよね、社会人になっても頑張ろう」といった声が飛び交っていたはずでしょう。
SNSの反応にビックリ
そんな気持ちをFBに投稿すると、今までにないような反響で、「いいね!」よりも「悲しいね」のマークが多く寄せられました。さらにFacebookフレンドの方が「母校です」とのメッセージ。「残念でしょうね」の回答に「卒業しても応援しなくてはいけないです」との反応が。何故か嬉しさと同時に込み上げてくるものがありました・・・母校愛、後輩想い、素晴しいと思います。共感は身近なところにある
共感は他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指します。そして、その共感は、意外と身近なところにもあるようですが、 ①それらを素直に感じる環境にあるかどうか。 ②人によって共感の領域は異なる。 という課題は当たり前ですが残るのです。だからこそ、普段から提供する情報を聞いてもらえる環境構築と言った準備、なるべく多くの方々に理解頂けるようなスキルが重要になってきます。 いくら自分がこれは良いと思っても、相手が反応してくれるとは限りませんし、押しつけは共感どころか警戒感を生んでしまいます。 例えば、学生のボランティア活動をしている状況を情報発信する際も、主管する先生の言葉に保護者の方は耳を傾けますが、卒業生の場合、なかなか仲間が集まらなかったり、自分たちは甘かったと言った学生時代の苦労談への反応は高かったりします。勿論、共感力の高い人とそうでない人がいますから、絶対の正解はないのですが。。。 故に「共感」を得るには、普段の信頼関係の上に成り立ち、その琴線に触れるためのマーケティング活動そのものだという意見に私は賛同します。